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玉名簡易裁判所 昭和43年(ろ)2号 判決

被告人 西村三二

大八・五・一九生 洋服商

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実

被告人に対する公訴事実は、

「被告人は、昭和四二年一一月三〇日午前一〇時三〇分頃、熊本県玉名市高瀬大橋東詰交差点において、軽四輪乗用自動車を運転右折するに察し、伊藤正三(当三〇年)運転の大型貨物自動車が直進しようとしているのに一時停止しないでその進行を妨げたものである。」

というにある。

第二、当裁判所の判断

仍て審按するに、被告人は当公判廷において、同人が右日時右場所を軽四輪乗用自動車(以下単に軽四輪と略称する)を運転して進行したことは間違いないが、当日は平素被告人の店(洋服店)の洋服の仕立(縫製)を頼んでいる同市安楽寺梅林の洋服仕立業井上一郎方と玉名郡横島町大字京泊の右同業高原千義方へ該洋服の仕立依頼、製品の受領ならびに同仕立賃支払いのため赴いたもので、先づ右井上方に寄り、ついで同高原方へ向うため前記場所に差しかかつたものであつて、同場所で高瀬大橋方面へ右折する等の意図は毛頭なく、むしろ右高原方への順路である同市舟島から該交差点およびその南側の桃田踏切を経て、同郡天水町方面に至る県道上を南方に向い直進する考えで進行し、該交差点手前で同県道とほぼ東西に交差する国道第二〇八号線の西方(右方)から伊藤正三運転の大型貨物自動車(以下単にトラツクと略称する)が東進してくるのを認めたが、同車よりも自車の方が先きに同交差点を通過南進し得る位置にあつたので、そのまま同交差点に進入したところ、右トラツクが予想外に早く進行して来、危険を感じたので急停車したが同車に自車の前部を押し潰されるようにして衝突されたものであり、該交差点には被告人車両の方が先きに進入しておるうえ、左方優先の関係にもあつたので、かえつて右伊藤の方こそ被告人に進路を譲らねばならなかつたものである旨主張し、かつその旨供述するところ、証人井上一郎の当公判廷における供述によると、同証人はときどき被告人の依頼により同人が裁断して持参する洋服生地の縫製を引き受けていたが、本件当日の朝も被告人が軽四輪車で来て当時仕立て上つていた製品を受領し代金を支払うと共にさらに新しく裁断生地の縫製方を依頼したが、当時同証人方も年末が近く仕事が忙しかつたので右依頼を断つた旨のことが認められ、また証人高原千義の当公判廷における供述に徴すると当時同人は被告人の店(洋服店)の専属として被告人が裁断して縫製を依頼する洋服の仕立てを引き受け月間一五、六着分を縫つており、右裁断生地や同工賃は被告人が軽四輪を運転し単独で、もしくは同人妻を同乗させて持つて来ておつたが、恰度本件当日高原方では製品が仕上つており、また当月(一一月)分の工賃精算(支払い)の予定日でもあり、なお月末で金の要ることもあつたのでその朝同人の妻が被告人方へ右製品を取り旁々月末の工賃精算(支払い)に来てもらいたい趣旨の電話をかけておつた旨のことが認められる(その他同証人はその数日後被告人を入院中の病院に見舞つたところ、被告人から当日同人が奇禍に遭つたのは、梅林の井上方から横島の右証人方へ赴く途中であつた旨のことも聞いた等と供述しているが、この点は同証人の検察官に対する供述調書に照らし、にわかには措信できない)ので、被告人が当日朝家を出た際は右井上方と同高原方の二軒を廻る予定であつたものと考えられるのみならず、右井上方では同人に頼む予定であつた仕立てを断わられておるので、この分についても専属の右高原の方へ依頼せねばならないこととなり、すくなくともこの用件のため同人方へ廻らねばならない状況にあつたものであり、師走をひと月後に控えておつた時季的関係もあつて、これを急ぐ必要のあつたことも容易に首肯でき、なお右井上証人の供述によると本件の高瀬大橋東詰交差点は右井上方から同高原方に至る順路に当つておることが認められるので、被告人において右交差点手前に差しかかつた頃、右予定を変えなければならないような特段の動機や事情の変更が生じたとか、突然の衝動により右折の行動をとるに至つたとかの事実がないかぎり、被告人は同交差点を直進する意思を有し、かつ同行動に出たものと判断せざるを得ない。

ところで、当時被告人にみぎのような特段の動機や事情の変更が生じたり、右折えの突然の衝動が働いたものと認めるに足る証拠は何ら存しない。

ただ、被告人は当時(午前一〇時三〇分頃)未だ朝食を摂つておらなかつたので空腹状態にあつたことは想察するに難くないところであり、したがつてみぎ生理的要求から同所で急に右高原方に廻ることを中止し、もしくは一旦帰宅して朝食を摂つた後出直すという気持に変つたのではなかろうかという推測を容れる余地もなくはないのであるが、被告人は相当重度の身体障害者でありながら、そのハンデイキヤツプを克服して常人以上に活動していることや当公判廷における言動等に徴するときは極めて意志が鞏固で一旦立てた予定や計画はそのとおり遣りとおすという性格の持ち主である(このことは被告人も当法廷で自認しているところである)ことが窺われるのみならず、同人の妻である証人西村シズ子の当公判廷における供述によると、被告人は日常仕事の忙しいときは朝食を抜いたり、仕事先よりおそく帰つてからこれを摂るというようなことがときどきあることが認められ、また右高原方に廻つて帰っても数十分とはかからない距離関係にあることを考え合わせるときは、右空腹状態が被告人にその予定の行動を変えさせるに足るような事情の変更もしくは特段の動機となったものとは到底考えられない。

なお、本件につき、当事者を除いてはこれを目撃した者も皆無である。

しかして、両車衝突時の状況について、被告人は前記のごとく主張し、相手方トラツクの運転手である伊藤正三同助手の立花幸治は、いずれも証人として当公判廷において右トラツクの方が先きに該交差点に進入し、その直後被告人運転の軽四輪が進行してきて同トラツクの左側バツテリー部に側面衝突したものである旨証言し、また本件直後現場に急行し捜査並びに実況見分等に当つた所轄玉名警察署の司法警察員巡査田代孝幸も当公判廷における証人として、右伊藤、同立花両証人の各供述と符合する証言をしており、さらに同警察官により作成された実況見分調書見取図(昭和四二年一二月四日付)にも被告人の軽四輪は該交差点を桃田踏切方面に向い直進しようとする態勢でその前部をもつて相手方トラツクの左側中央部辺に衝突した旨の状況が見分されており、むしろ被告人は当時該交差点において桃田踏切方面に直進しようとしたものであつて、高瀬大橋方面に右折もしくは右折しようとする態勢には全くなかつたものとされている。

尤も、右トラツクの運転手伊藤の証言は、同人が本件後暫時にして所在不明となり、捜査当局が同事件はもつぱら被告人の責任にとどまるものとして右伊藤の責任は追求する虞れがなくなつたとみられる昭和四四年三月頃に至つて漸くその所在を明らかにするに至つたというその責任逃避的傾向に徴し信憑性に多分の疑いが存し、また右トラツクの助手立花の証言も、同人は本件当時窓を閉め切りラジオに聴き入つておつて衝突の瞬間を目撃しておらなかつたのであるから同様措信するに躊躇されるものであり、なお田代巡査の証言や同人の作成に係る実況見分調書も主として右伊藤、立花の供述に依拠しておるものであるから、これまたその素材の関係から真実性についての疑念を払拭し得ないものであるが、そうかといつてこれにより被告人が当時右折もしくは右折の態勢にあつたものと飛躍して推測することも、もとより許されるところでない。

その他訴因変更前の本件公訴事実が、「被告人は・・・・・大型貨物自動車の左側部に自車の前部を側面衝突させた・・・・・」とあり、三年有六ヶ月の間被告人車両の直進を前提とするみぎ起訴事実が主張され、維持されてきておつたこと等の事実に鑑みるときは、被告人の前記供述を覆いして本件当時被告人が右折の態勢にあつたものと断定するためには客観的かつ決定的な証拠を必要とし、推定的証拠では足りないものといわなければならず、このことは疑わしきは被告人の有利に認定すべきものとされている刑事証拠法上の立前からいつても当然のことと言わなければならない。

ところで、検察官は鑑定人熊本県技術吏員堀江長誠(熊本県警察本部刑事部鑑識課物理係長)作成の鑑定書ならびに同鑑定証人の当公判廷における証言(以下同鑑定等と略称する)により、本件当時被告人はその軽四輪を運転し高瀬大橋方面に右折しようとしておつたものと主張する。

当裁判所も、右鑑定等が運動力学的視点からトラツクと軽四輪両車の衝突の模様をできるかぎり客観的、科学的に究明しようとしている点を高く評価するものであるが、同鑑定等の結論は、軽四輪がトラツクの左側方(バツテリー部)に衝突したものとは認められず、むしろ後車が前車の右前部に衝突したものであり、また右衝突時軽四輪の前輪が後輪に比べ、いく分斜め右になつていたことが推定されるとしているが、しかし同車が右折もしくは右折の態勢にあつたものとの断定まではできないとしているものである。

尤も、右堀江鑑定証人は、検察官の尋問に対しては、当初「やや右折の状態にあつたかも知れないが、はつきりしない」旨述べ、次いで「被告人の車は直進または右折に近い状態ではなかつたかと思われる」旨に変じ、さらに「ウエートとしては右折に近いと思われる」と転じているが、被告人の尋問に対しても、当初「相手方トラツクの進行方向と被告人の車の損傷状態からみて断定はできないが、被告人の車の前車輪がやや斜め右に向いていた状態で衝突したと考える」と述べ、次いで「被告人の車が右折したとか右へハンドルを切つたとか言つているわけではなく、被告人の車の前輪が後輪に比べるといく分右になつていることは争えない事実だと言つているのである」と述べる等、その表現にやや曖昧なところがあり首尾一貫していない嫌いがある(これは資料が不足のため已むを得ないことであると考えられる)のであるが、同鑑定人の右供述と鑑定書を照らし合わせ検討すると、同鑑定人は、結局、(イ)衝突後の両車の位置からトラツクは右へハンドルを切る余地は殆んどなかつたので概ね直進態勢で軽四輪に衝突しこれをトラツクの進行方向に振り向け、かつその進路外に押し出し進行したものとみられること(ロ)軽四輪車の変形や損傷こんを全体的に観察すると、その成因は前方加圧かまたは斜方加圧の力と、後方からの折り曲げの力とが働いたことによるものとみられること(ハ)現場写真(司法警察員作成実況見分調書添付写真)によると、軽四輪車の後輪側のある点を軸としてその前輪側が旋回したときできたものではないかとみられる扇形の印象こんらしいものが窺われること等を綜合して前記のごとく「前車輪やや右向き」の推論を出しておるものであることが認められるところ、みぎ三要件中軽四輪の向きを推定するうえに最も関係あると思われるのは、(ロ)、(ハ)の二要件であるが、まづ(ロ)については、被衝突車の損傷の形態は衝突時における同車の方向と衝突車による加圧の方向との組み合わせ如何に重大な関係をもつものであり、みぎ加圧が斜方加圧もしくはその比重が大である場合には、必らずしも被衝突車が右向きもしくは斜め右向きの態勢をとつておらなかつたとしても、斜め前方から後方に向つて押え込まれたと認められるような損傷が出来るものであるから、みぎ加圧に斜方加圧、すくなくともその競合を否定し得ない以上、前記(ロ)は軽四輪の方向が右向きであつたと断定することについての要件として不完全であるというほかなく、またみぎ(ハ)の印象こんは、扇形と認められるほど、さように鮮明なものではなく、とくに右端寄りの方がはつきりしておらない(因みに事故直後現場を見分した前記田代巡査も衝突地点には直線状の引きずられこんしか認めなかつたと証言している)のでそれが前輪側の旋回こんであるとしても、旋回始点の角度計測が不可能に近く(鑑定書にもこの角度の計測はなされていない)、なお衝撃力も算定されておらないので、衝突時軽四輪が右向きもしくは斜め右向きであつたものと断定するには資料として不十分であると考えられる。

さらに、証人中島高次の当公判廷における供述によると、スバル(本件当時被告人運転の軽四輪はスバルであつた)は停止の際ブレーキを踏むと前部が収縮して低くなる可変構造になつておることが認められるので、右収縮に当つて前輪タイヤが歪みを生じ右偏することもあり得ることと考えられ、これに医師村上英一作成の変傷届により認められる被告人の受傷の部位が右鎖骨部であること(もし、軽四輪が右向きもしくは斜右向きの態勢で直進のトラツクに触れたとすれば、軽四輪運転席の被告人はその身体の向きからして右肩もしくは右鎖骨部よりも、むしろ左肩もしくは左鎖骨部に受傷した筈であると考えられる)等諸般の事情・事実を併せ考慮するときは、堀江鑑定人の鑑定は、結局前述したごとく本件衝突時被告人運転の軽四輪につき、その前車輪が同後車輪に比しいく分斜め右になつていたものとの推定を容れることは可能であるが、同車が右折もしくは右折の態勢にあつたものとの断定はできないとの結論を出ないものといわざるを得ない。

ところで、検察官は、被告人を道路交通法第三五条第一項違反としては起訴していないが、本件交差点(同所が交通整理の行われていない交差点であることは、前記検証上明白であり、当事者間に争いのないところである)には被告人の軽四輪よりも相手トラツクの方が先きに進入したものであり、したがつてトラツクは先入車優先権を有するものである旨主張し、トラツクの前記伊藤運転手同立花助手も自車の先入事実を強調し、証人田代孝幸も被告人軽四輪に左方優先の成立しないことを指摘する。

しかし、一方被告人も軽四輪の方が先きに交差点に入つたところ、トラツクの疾走に危険を感じて衝突地点に急停車したが、該トラツクに乗り潰されたものである旨主張し、当事者以外の中立性のある第三者的目撃者が皆無であるうえ、現場で各自が指示説明した相互に他を視認し得たという関係位置等も客観的裏付けに欠け、また両車の各速度についてもこれを確認しうる証憑がない。

検察官主張のトラツク時速約四〇粁、軽四輪約五〇粁という速度も、専らトラツクの運転手同助手の供述に依拠するものであり、かつ当初の起訴状では軽四輪の速度は時速二五粁(これは被告人の供述に依るものである)とされておつたものであるから、第一次訴因変更(昭和四四年四月八日付)による前記速度(時速五〇粁)との間には、余りにも変動差が大き過ぎにわかに措信し難い。

したがつて、トラツクに先入車優先権があるとの検察官主張を支持するに足る証拠は肯認し難いのであるが、仮りに両車の速度を検察官主張のごとくトラツク時速四〇粁、軽四輪五〇粁とし、また両車衝突の位置をトラツク側主張指示の地点とし、なお衝突地点への両車到着時刻も同時と想定すると、右地点と、トラツクが進入した同交差点西口との間の距離は約一三・五メートル、軽四輪が進入した同北口との間の距離は約五・七五メートルである(この距離関係は当裁判所の検証による検尺の結果明らかである)から、両車の右各入口から該衝突地点までの各所要時間は、トラツクが約一・二秒(3600/40000×13.4≒1.2秒)、軽四輪が約〇・四一秒(3600/50000×5.75≒0.41秒)で、交差点にはトラツクの方が約〇・七九秒早く入つておる計算になるのであるが、かかる微差しかない場合には両車が該交差点内において衝突もしくは接触を免がれ難い蓋然性が極めて高いことは、両車の速度差および交差点の長さから自ら明らかなところである。

ところで、道路交通法第三五条が交差点に進入しあるいは進入しようとする両車の優先劣後の関係を法定する趣旨は、両車衝突のあとになつてどちらが優先していたかを法定することが本来の目的ではなく、むしろそのような衝突のないことを期するところにあるものであるから、右方車としては相手車両を視認し得た時点において、両車の交差点までの距離および進行速度に即し、両車がそのままの速度で進行した場合自車の方が交差点に先入するだけでなく同所を先きに通過し終ることができると確認されるのでなければ同交差点に進入すべきでなく、むしろかかる場合減速して左方車の進行に譲るべきであり、結果的に先入していたからといつて当然優先権を認められるわけのものではないというべきである。

もし、かような解釈が許されず、右方車が少しでも先入すれば優先するというのであれば、左方車を視認後右方車が加速して強引に先入し優先権の取得を主張するという危険な事態を容認することとなり、かえつて同条の法意にもとることとなる。

したがつて、みぎのような交差点において両車のいずれかが変速(加速ないし減速)しないかぎり衝突、接触を避けられないような条件下にある場合には、同条の適用上は両車が「同時に進入すべき場合」すなわち同条第三項に該当するものと解するのが相当というべきである(昭43・12・19東京地判、判夕二三二号一九七頁参照)。

しかして、本件の場合、両者の速度やその衝突位置、衝突地点への到着時刻等をトラツク側主張のとおりと仮定しても両車の交差点進入は一秒に足りない極微差を存するに過ぎず、そのまま進行するにおいては接触、衝突を免れ難かつたのであるから、まさに同条第三項すなわち左方優先の適用を受くべき場合であつたものといわねばならないのである。

以上検討の結果に依れば、結局本件は犯罪の証明が十分でないことに帰するものというべきであるから、刑事訴訟法第三三六条後段に則り被告人に無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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